【エスプレッソを世界に広めたのは誰?】スターバックス名物CEOハワード・シュルツのアメリカン・ドリーム。

わが家では最近、エスプレッソマシンを購入しました。その下調べのうちに、エスプレッソの歴史について興味が湧いて、いろいろ調べてみました。

エスプレッソは1901年にイタリアで発明されて以来、ずっとイタリア国内だけで飲まれていたようです。でも、いまではエスプレッソがない世界なんて想像ができません。では、いったい誰がエスプレッソを世界に広めたのか?

結論から言うと、スターバックス社です。

スターバックス社の草創期の事情は大変興味深いものです。そしてそこには、1980年代のアメリカンドリームもあります。今回は、エスプレッソが世界中に広まることになった経緯と、草創期のスターバックスの興味深いストーリーをまとめてみたいと思います。

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はじめに―ウィキペディアだって完璧ではない

そんな歴史なんて、どうせウィキペディアの受け売りなんでしょう⁉と思われるかもしれません。が、意外なことに、スターバックスの草創期のもっとも興味深いところは、少なくとも2020年9月現在の日本語版ウィキペディアには、わかりやすくはまとまってはいません。

英語版ウィキペディアでさえ、系統だってまとまってはおらず、「スターバックス」と「ハワード・シュルツ」の項目に散漫にまたバラバラに記述があるばかり。

そうしたところを拾い読みしながらまとめるのも面白かったところです。

エスプレッソの歴史

高圧によって濃厚なコーヒーを抽出するエスプレッソの製法は、1901年にイタリアで開発されました。1906年のミラノ万博で紹介され、以後イタリアでポピュラーになっていったものです。当時は電動式エスプレッソマシンはありませんでしたが、イタリアでは今でも直火式のエスプレッソメーカーであるマキネッタがポピュラーなようです。

現在のような電動式のエスプレッソマシンが発明されたのは、1961年。

日本では、1990年代にスターバックスをはじめとするシアトル系コーヒー・チェーンが上陸して以来、人気が高まったということのようです。

ここまでの知識の出どころは、日本語のウィキペディアです。 

普通のコーヒーチェーンだったスターバックス社

引き続き、アメリカでどうやってエスプレッソが人気がでたのかを調べてみました。こちらは、日本語のウィキペディアには詳しくなかったですが、英語版ウィキペディアに載っていました。

 アメリカではというと、1980年代以降にスターバックス社が、エスプレッソを全米に広めたようです。1980年代前半には、スターバックスもエスプレッソを扱っていたわけでなく、シアトルに6店舗を構える普通のコーヒーチェーンでした。今から考えるとエスプレッソを提供しない「普通の」コーヒーチェーンはあり得ないですが、たぶんドリップベースのアメリカンコーヒーを出すコーヒーショップだったのでしょうか。

ハワード・シュルツがミラノに出張しエスプレッソに夢中になる

スターバックスの販売担当者だったハワード・シュルツという社員が、1983年に社用でミラノを訪れ、エスプレッソに夢中になったそうです。シュルツは、スターバックスでエスプレッソを売ることを提案するも、経営陣に却下されます。エスプレッソマシーンが高価な上、アメリカ人に馴染みのない新しいコーヒードリンクを売るリスクが大きかったことが却下の理由です。

そこでシュルツはスターバックスから独立します。イル・ジョルナーレ(Il Giornale、ミラノの新聞社名から取ったとのこと)という名前の新しい店をシアトルに出し、エスプレッソを売り始めました。1986年のことです。ただし、この店を出すにあたって、スターバックスの経営者たちは、多額の投資をしたようなので、スポンサーとしてシュルツを応援していたようです。

シュルツがスターバックス・チェーンを手に入れ、全米そして世界に展開

1987年に、スターバックスの元のオーナーたちは、スターバックス・チェーンをシュルツに売却します。シュルツは、Il Giornaleをスターバックスに統合し、その年のうちにバンクーバーとシカゴに支店を開店。

1989年には既に、アメリカ北西部と中西部に46支店があったそうです。その後、スターバックスが全米、次いで全世界に広がったことは、誰もが知っている通りです。

スターバックスの世界展開の第一歩は、日本。1996年に銀座に出店したのが米国外の1号店だったそうです。以来、ファーストフードに反感が強いヨーロッパでも受け入れられ、世界中で人気のコーヒー・チェーンになりました。

こう書いてみると、ハワード・シュルツはまさにアメリカン・ドリームを生きた人です。

ハワード・シュルツのストーリーを読みながら、私は最近アマゾン・プライムで見た「ファウンダー」という映画を思い出しました。さえないミルクシェーキ・マシンのセールスマンだったレイ・クロックが、カリフォルニアのハンバーガー・レストランに目を付け、マクドナルド・ハンバーガー帝国を築いた話です。どちらも、ほかの人が気が付かなかった新しいビジネスの可能性に目を付け、それを種に帝国企業を築きあげました。どちらもアメリカン・ドリームに違いありません。

ただ、シュルツは若いうちにゼロックスで働いた後、26歳くらいのころにはキッチン雑貨を扱うhammerplastというスウェーデン系企業にgeneral manager(業務部長?)として迎えられていました。hammerplastの業務で1981年にスターバックスにコーヒーフィルターを届けに上がった後、1982年には29歳でスターバックスに在庫管理兼販売部長として着任しています。そう思うと、シュルツの方はレイ・クロックと違って、大それたことをしなくても、企業で出世していく能力のある人物だったのかもしれませんね。

シュルツの前のスターバックス経営者たちのその後

ところで、ハワード・シュルツが就職する前のスターバックスは、1971年創業。ハワード・シュルツが社員をしていた頃のスターバックスの経営者たちは、Peet’s Coffee というサンフランシスコのコーヒー・チェーンを買い取り、そちらに専念するつもりでスターバックスをシュルツに売却したとも書いてあります。

Peet’s Coffeeも現在では、カリフォルニアとシカゴを中心に200ほどの店舗を構え、全米のスーパーマーケットでコーヒー豆を売っているチェーンです。その後のスターバックスほどではないにしても、やはり大きく成功した企業のようです。

文明はアメリカのフィルタを介さないと世界標準になれないこと―私の感想

白熱灯の照明と暖かみのある木目調の内装の心落ち着く店内で楽しむ、暖かくコクのある一杯。アジアでもヨーロッパでもアメリカでも、世界中どこでも同じ一杯が楽しめる。

もちろんスターバックスのことです。世界中どこでも同じ店構え、同じ味というのを徹底して成功しているのがアメリカ的なのかと思ったのですが、それを徹底して成功し続けているチェーンの筆頭がマクドナルドとスターバックスです。

アメリカ資本、とくにファーストフードに反対して、ヨーロッパでスローフード運動というのがあったこともありました。けれども結局、本場イタリアでですら、スターバックスが大繁盛しているのを見るにつけ、とても不思議な気持ちがします。

今となっては多くの人たちが素晴らしいものと思うようになったエスプレッソ。1980年代だったらすでにイタリアに海外旅行に行って本場で味わった日本人もいたはずと思うけれど、結局エスプレッソが日本に、または世界に広まるにはアメリカ資本のフィルターを通る必要があったというのが、とても面白いと同時に、すこし悲しい気持ちがします。

参考にしたページ

以上アメリカでのエスプレッソの歴史は、以下3本のウィキペディアを拾い読みして勉強しました。

現在、エスプレッソが世界中でポピュラーになったきっかけがスターバックス社だったと思うと、スターバックスも人類文明を豊かにするのに大きく貢献したと認めざるを得ないですね…。

 しかし、イタリアの文化が世界に広まるのに、一旦アメリカ企業というフィルターを通す必要があったというのが、いかにも現代の世界の在り方を物語っているように思います。

更新記録
2020年10月10日 「エスプレッソなおうち」へ移転。
2020年9月29日 「lulutheblackcat’s blog」にて公開。

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